倶利伽羅古戦場と倶利伽羅不動寺
Apr. 27 '19
 倶利伽羅県定公園の桜を見に訪れましたが、この地は約800年前に源平の戦いがあり、その古戦場の史跡が沢山残っています。桜めぐりで訪れたのでそう時間もなく、簡単にたどったところを紹介しました。また、この源平の合戦で多くを焼失したという倶利伽羅不動寺(日本三大不動ともいわれる)も境内を散策したのでここに載せました。倶利伽羅峠の戦い・・という語源は少し頭に残ってはいましたが、具体的にどのような戦でどの時代だったのかは定かでありませんでした。このつたないページを編集しながら改めて、歴史の奥深さを知ることになり大変勉強になりました。倶利伽羅峠の合戦は10万ともいわれる平維盛率いる平家軍と木曽義仲(源義仲)率いる4万の軍勢との戦いで、有名な「火牛の計」と言われる奇策を弄した源氏方が勝利しました。ただ、「火牛の計」については後世の創作という説もありますが・・・。

倶利伽羅源平の郷 埴生口に植えられた「義仲の松」・・・大河ドラマ実現をめざす事業

埴生護国八幡宮の鳥居                 案内板           
 

埴生護国八幡宮・・・国重要文化財

拝殿を見上げて・・・木曽義仲が戦勝祈願し本陣とした

本殿・・・慶長5年(1600年)建立

埴生護国八幡宮 源義仲像・・・国内最大級

源平倶利伽羅合戦の地・・・左手に源氏ケ峰、そのすぐ右手が地獄谷

源平倶利伽羅合戦の地・・・「火牛の計」像

源平盛衰記碑と八重桜・・・左手森の奥が猿ヶ馬場で平家軍の本陣だった所

源平供養塔・・・奥に為盛塚がある

            源平盛衰記碑              万葉集 砺波山手向の神の歌
 

倶利伽羅不動寺へ               手向神社石堂神殿
 

            和光塔                 倶利伽羅峠三十三観音
 

倶利伽羅不動寺・本堂・・・倶利伽羅峠の合戦で多くを焼失

本堂前に近づいて・・・昭和24年に高野山の金山穆韶大僧正の尽力により復興

奥之院

修行大師像など

五重之塔
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