三十三間堂
May 22~25 '05
 三十三間堂は正しくは蓮華王院という名の天台宗の寺院です。もともとは後白河上皇の離宮・法住寺殿の広大な敷地の一角にあり、長寛2年 (1164)後白河上皇が平清盛に命じて造らせたもの。現在残っている本堂は文永3年(1266)に再建されたもので堂内は撮影禁止です。 堂内中央須弥壇上の中尊千手観音座像 (国宝) の左右に500体ずづ安置された千手観音像群 (重文) は神々しい浄土空間を作り出し、見るものを圧倒します。
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             養源院       大谷本廟

池泉から臨む三十三間堂(国宝)・・・堂内は撮影禁止

堂内の柱の間が33あることから三十三間堂と呼ばれる・・・総檜造りで長さ約120m

三十三間堂正面                破風       
 

     鐘楼               南東からの三十三間堂
 

三十三間堂・南大門(重文)・・・日本に現存する「八脚門」としては二番目の大きさを誇る

南大門の左隣に続く太閤塀・・・豊臣秀吉が寄進したもの

          太閤塀            京都・国立博物館・・・正門と本館自体が重文
 
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養源院
 養源院は豊臣秀吉の側室淀殿が父浅井長政の追善の為、長政の二十一回忌に秀吉に願って養源院を建立しました。後に火災で消滅しますが、徳川秀忠の妻おごうが伏見桃山城の一部を移築して再建、以来徳川家の菩堤所となり歴代将軍の位牌が祀られています。なお、血天井と呼ばれる天井板には伏見城が落ちた際、鳥居元忠らが自刃(じじん)した廊下の板が使われています。

養源院入口門               養源院の歴史
 

  静寂感漂う参道            本殿・・・室内撮影禁止
 
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大谷本廟
 大谷本廟は宗祖親鸞聖人の廟所(墓所)であり、祖廟とも呼ばれています。親鸞聖人は弘長2年(1262年)舎弟尋有僧都の住坊「善法坊」、現在の角坊別院において90歳で往生となり鳥辺山南辺、現在の大谷本廟の御荼毘所で火葬し奉り、遺骨は鳥辺野北辺「大谷」に納められたという。

円通橋・・・1856年竣工の奇行を尽くした石橋          大谷本廟総門                           
 

仏殿(本殿)・・・親鸞上人の廟所

見事な庭木が見られます
 
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